現在の堂宇は、慶長大地震後に、会津藩主 初代 保科正之公、正経公、正容公(正信公)三代を通じて大施主となられたものであり、会津人本来の心を込めた建築群、仏像群です。
願成寺の境内
廿五菩薩の諸像・州三観音諸像は十夜会の期間のみ開帳される。鐘楼の鐘は、除夜の時、来迎行道念佛衆によって鳴らされ、通常は日没時である。二つの地蔵堂は何れも篤信者の奉納によるもの。洗心の石は手彫りの立派なもので奉納者は女講中とある。会津の女性達は信心深く、また力もあったのであろう。そういえば境内にある種々の花々も、すべて篤信者の手になるもので、施主・願主は女性が多いと聞く。
本堂と庫裡をつなぐ渡り廊下の太鼓橋をくぐると正面が千佛堂(旧阿弥陀堂)で、千葉の梅沢徳次郎氏奉納による十三佛が正面に安置されている。堂の下には中興行譽上人の墓があり、十三佛中阿弥陀三尊の真下である。渡り廊下をくぐり、石畳みの道を右へ行けば急に視界が開け、心字の池を巡って大佛殿の前にでる。「念ずれば花開く」の碑の前、燈籠の下に真紅のつつじが咲く。
仰げば、会津大佛、千古からの願いを叶えつづける阿弥陀如来。光背の千体佛は、浄土に生きる祖先と、現世 に生きる我等と、やがてくる子孫とが、お念佛の中で阿弥陀佛と共に生きる姿を現すものとか。
叶山の生い立ち
先師 西帰し給う十二月十三日 ひたすらに奥州に下り 師のために草庵を営む 何ぞ知らん抱けるは一片の骨 我今や比処にとどまり 師と共に念佛往生の素懐を遂げん 里人に阿弥陀如来の慈悲を伝えん
時まさに嘉禄三年(1227年)今を去るおよそ800年前のことでありました。
往時は、紫陽の善導寺、洛西の光明寺、会津の願成寺、各々浄土一流の本山と並び称され、東北浄土宗の一大道場でありましたが、時変り星移り、文禄(1592年~5年)のはじめ、蒲生の家来某、佛殿、三門、方丈を毀し、運び去って居城とし、ただ隆寛律師の御影堂のみが残りました。願成寺荒廃の極となった時であります。

慶長四年(1599年)叶山廿二世法蓮社良翁上人は、時の太守上杉景勝公にこれを訴え寺地三千坪を若松城下に賜って、まづ会陽城下に叶山三宝院願成寺を再興しました。のち会陽の願成寺は、第七世湛蓮社然譽霊徹上人の時「就」の一字を勅許され願成就寺と称しました。若松落城の後は、寺も衰微し、今次大戦後の混乱の時を経て、会陽願成就寺の寺地はなくなり、歴史のみが残って居ります。
寛文四年(1664年)加納の願成寺は、荒廃したままになって居りましたが時の太守保科正之公は、中興行譽霊雲上人によってこれを知り、寛文五年(1665年)白銀を賜り、これが現在の願成寺再興の原動力となりました。中興行譽霊雲人は、新に上三宮の地に寺地を定め、都市計画を行い、水を引き、加納松原から願成寺を移し再興致しました。

寛文八年(1668年)正之公は更に、田畝、材木、役夫を賜り、寺地、寺田の界畔を築きました。同年前太守保科正経公は、中村の大佛三尊を移し賜りました。今の会津大佛阿弥陀三尊がこれであります。
元禄四年(1691年)祖山知恩院に縁起の書を奉じ、黒谷光明寺、百万辺知恩寺、清浄華院各々側書名号を賜り、同年太守保科正信公寺田を賜りました。面積四千歩、収米十七石一斗とあります。
明治初年(1868年)以降、廃佛のことあって寺勢衰え、無住の時代もあり、昭和の農地解放により、寺田はなくなりました。
先代、六十三世映譽上人は、昭和十六年(1941年)~昭和五十九年(1984年)の間、叶山史上最長の住職でありましたが、大戦後の混乱の中で幼児教育園を興し、寺域の整備につとめ本堂、庫裡及び大佛殿の屋根大修理さらに三門、鐘楼の銅板ふき替え、新阿弥陀堂の建立等をなされたこと昭和の中興と申せましょう。
略年譜
| 嘉禄三年(1227年) |
奥州加納の庄に一宇建立 叶山 三宝院願成寺 開山 隆寬律師 開基 實成房上人 |
| 天正九年(1581年) | 久光山 室勝寺 開山 南察和尚 |
| 文禄初年(1592年) | 蒲生の家来にして無信の大悪人、叶山の佛殿、三門、方丈を毀す。住職良翁以下寺僧は一時越後へ逃れる。 |
| 文禄四年(1595年) |
三宝山 源空寺 開山 順蓮社良崇上人 おそらく越後への途中、当地に止った良翁の弟子であろう。叶山三宝院並に法然上人(源空)への想いが込められた山号 寺号である。なお、山都町には、今でも願成寺山といわれる山がある。 |
| 慶長三年(1598年) |
五王山 長福寺 開山 源譽上人 願成寺住職の隠居所として建立された。施主は大塚久俊家の祖。 |
| 慶長四年(1599年) |
今陽若松城下、城主上杉景勝公 吐山三宝院願成寺、後に願成就寺。 開山は、当山廿二世法蓮社良翁上人、若松落城の後寺も滅んで今は清林寺に合併されている。 |
| 慶長五年(1600年) |
清雲山 浄円寺 はじめ密宗の寺 宝譽順察入って本宗となす。この年関ヶ原の戦があった。 |
| 慶長六年(1601年) |
山王山 浄教寺 開山 隆安上人 当初は、下三宮にあったとされている。 |
| 元和八年(1622年) | 長泉寺 開山 宗譽上人 |
| 承応元年(1652年) | 長福寺 再興 願成寺再建の動き強まる。中興 緑蓮社良源上人 |
| 寬文四年(1664年) | 願成寺 松原から上三宮へ移り再興。中興 行譽霊雲上人 |
| 昭和の時代 | 敗戦後、また願成寺は困難の極に達したその中で六十三世 映譽上人は、大改修を行い、さらに新阿弥陀堂を建立した。 |
| 平成の時代 | 平成九年に開創770年をむかえた。 |
今こそ大同団結して、自らの手で願成寺千年の礎を築くべき時であります。それこそが、阿弥陀様に、宗祖上人に、そして御先祖さまにするべき報恩の行でありましよう。


