願成寺について

創建700余年の古刹 叶山 三宝院 願成寺
叶山 三寳院 願成寺と申します。嘉禄三年(1227年)、法然上人の高弟 隆寛律師 御開山、開基はその弟子 實成房上人。大施主は、時の領主であり、頼朝の供奉員 佐原十郎義連公。
現在の堂宇は、慶長大地震後に、会津藩主 初代 保科正之公、正経公、正容公(正信公)三代を通じて大施主となられたものであり、会津人本来の心を込めた建築群、仏像群です。

願成寺の境内


表門前の寺史を読み、境内に入る。両側の「さつき」の花の季節がしのばれる。正面に重厚な山門あり、彫刻群が珍しい古びてはいるが名ある人の手になるものか?北と南に古墳あり、山門右に愛染明王。正面に本堂、本尊阿弥陀如来像は法然上人から直接伝えられたものという。

廿五菩薩の諸像・州三観音諸像は十夜会の期間のみ開帳される。鐘楼の鐘は、除夜の時、来迎行道念佛衆によって鳴らされ、通常は日没時である。二つの地蔵堂は何れも篤信者の奉納によるもの。洗心の石は手彫りの立派なもので奉納者は女講中とある。会津の女性達は信心深く、また力もあったのであろう。そういえば境内にある種々の花々も、すべて篤信者の手になるもので、施主・願主は女性が多いと聞く。

本堂と庫裡をつなぐ渡り廊下の太鼓橋をくぐると正面が千佛堂(旧阿弥陀堂)で、千葉の梅沢徳次郎氏奉納による十三佛が正面に安置されている。堂の下には中興行譽上人の墓があり、十三佛中阿弥陀三尊の真下である。渡り廊下をくぐり、石畳みの道を右へ行けば急に視界が開け、心字の池を巡って大佛殿の前にでる。「念ずれば花開く」の碑の前、燈籠の下に真紅のつつじが咲く。

仰げば、会津大佛、千古からの願いを叶えつづける阿弥陀如来。光背の千体佛は、浄土に生きる祖先と、現世 に生きる我等と、やがてくる子孫とが、お念佛の中で阿弥陀佛と共に生きる姿を現すものとか。

叶山の生い立ち


源平の戦終り、法然上人没後十五年を経て、嘉禄の法難あり、顕撰擇集の著者にして法然上人の高弟隆寛律師(少納言 藤原資隆の第三子)は、八十歳の高齢にも関らず、奥州は会津加納の庄に配流され、弟子實成房と共に、七月五日京を発ち途中相州飯山にて示寂、實成房は師隆寛の遺骨を抱いて加納に至り、法然上人相伝の如来像を本尊として一宇を建立いたしました。今の通称寺山正式には喜多方市上三宮町廟山の地がそれであります。現在は隆寛律師の御廟となっております。

先師 西帰し給う十二月十三日 ひたすらに奥州に下り 師のために草庵を営む 何ぞ知らん抱けるは一片の骨 我今や比処にとどまり 師と共に念佛往生の素懐を遂げん 里人に阿弥陀如来の慈悲を伝えん

時まさに嘉禄三年(1227年)今を去るおよそ800年前のことでありました。
往時は、紫陽の善導寺、洛西の光明寺、会津の願成寺、各々浄土一流の本山と並び称され、東北浄土宗の一大道場でありましたが、時変り星移り、文禄(1592年~5年)のはじめ、蒲生の家来某、佛殿、三門、方丈を毀し、運び去って居城とし、ただ隆寛律師の御影堂のみが残りました。願成寺荒廃の極となった時であります。

慶長四年(1599年)叶山廿二世法蓮社良翁上人は、時の太守上杉景勝公にこれを訴え寺地三千坪を若松城下に賜って、まづ会陽城下に叶山三宝院願成寺を再興しました。のち会陽の願成寺は、第七世湛蓮社然譽霊徹上人の時「就」の一字を勅許され願成就寺と称しました。若松落城の後は、寺も衰微し、今次大戦後の混乱の時を経て、会陽願成就寺の寺地はなくなり、歴史のみが残って居ります。

寛文四年(1664年)加納の願成寺は、荒廃したままになって居りましたが時の太守保科正之公は、中興行譽霊雲上人によってこれを知り、寛文五年(1665年)白銀を賜り、これが現在の願成寺再興の原動力となりました。中興行譽霊雲人は、新に上三宮の地に寺地を定め、都市計画を行い、水を引き、加納松原から願成寺を移し再興致しました。


寛文八年(1668年)正之公は更に、田畝、材木、役夫を賜り、寺地、寺田の界畔を築きました。同年前太守保科正経公は、中村の大佛三尊を移し賜りました。今の会津大佛阿弥陀三尊がこれであります。

元禄四年(1691年)祖山知恩院に縁起の書を奉じ、黒谷光明寺、百万辺知恩寺、清浄華院各々側書名号を賜り、同年太守保科正信公寺田を賜りました。面積四千歩、収米十七石一斗とあります。

明治初年(1868年)以降、廃佛のことあって寺勢衰え、無住の時代もあり、昭和の農地解放により、寺田はなくなりました。

先代、六十三世映譽上人は、昭和十六年(1941年)~昭和五十九年(1984年)の間、叶山史上最長の住職でありましたが、大戦後の混乱の中で幼児教育園を興し、寺域の整備につとめ本堂、庫裡及び大佛殿の屋根大修理さらに三門、鐘楼の銅板ふき替え、新阿弥陀堂の建立等をなされたこと昭和の中興と申せましょう。

略年譜


嘉禄三年(1227年) 奥州加納の庄に一宇建立
叶山 三宝院願成寺 開山 隆寬律師 開基 實成房上人
天正九年(1581年) 久光山 室勝寺 開山 南察和尚
文禄初年(1592年) 蒲生の家来にして無信の大悪人、叶山の佛殿、三門、方丈を毀す。住職良翁以下寺僧は一時越後へ逃れる。
文禄四年(1595年) 三宝山 源空寺 開山 順蓮社良崇上人
おそらく越後への途中、当地に止った良翁の弟子であろう。叶山三宝院並に法然上人(源空)への想いが込められた山号 寺号である。なお、山都町には、今でも願成寺山といわれる山がある。
慶長三年(1598年) 五王山 長福寺 開山 源譽上人
願成寺住職の隠居所として建立された。施主は大塚久俊家の祖。
慶長四年(1599年) 今陽若松城下、城主上杉景勝公 吐山三宝院願成寺、後に願成就寺。
開山は、当山廿二世法蓮社良翁上人、若松落城の後寺も滅んで今は清林寺に合併されている。
慶長五年(1600年) 清雲山 浄円寺
はじめ密宗の寺 宝譽順察入って本宗となす。この年関ヶ原の戦があった。
慶長六年(1601年) 山王山 浄教寺 開山 隆安上人
当初は、下三宮にあったとされている。
元和八年(1622年) 長泉寺 開山 宗譽上人
承応元年(1652年) 長福寺 再興 願成寺再建の動き強まる。中興 緑蓮社良源上人
寬文四年(1664年) 願成寺 松原から上三宮へ移り再興。中興 行譽霊雲上人
昭和の時代 敗戦後、また願成寺は困難の極に達したその中で六十三世 映譽上人は、大改修を行い、さらに新阿弥陀堂を建立した。
平成の時代 平成九年に開創770年をむかえた。
いうまでもなく願成寺は、皆さんの御先祖さまたちが精魂を込めて建てられた宗祖法然上人直伝の寺であります。現在、長泉寺以外はみな無住となり願成寺本寺のみがかろうじて名脈を保っている状況にあります。
今こそ大同団結して、自らの手で願成寺千年の礎を築くべき時であります。それこそが、阿弥陀様に、宗祖上人に、そして御先祖さまにするべき報恩の行でありましよう。